妻は元バレリーナだったらしいです。
「らしい」というのは、私は数々のエピソードを聞くことはあっても踊っている姿を目にしたことがないからです。
妻は中学入学後、アメリカ、イギリス、ドイツと海外のバレエ団を転々とするも、退団。
帰国後に結局通信制の高校に編入しなおし、卒業。
浪人期間を経て大学へと進学しましたが、思い出話を聞いたり写真を見せてもらうことはあっても
踊っている姿を「見たこと」はありませんでした。
ということで、一度「見て」みようと、おっかなびっくり慣れないダンススクールに誘い、
妻と息子とぞろぞろと向かってみました。
それはクラッシックバレエではなく、「マイケル・ジャクソン」のコピーをひたすら踊るという講座でした。
驚きました。まず・・・「マイケル大好き」な先生が熱い!とにかく熱いを超して「暑い」!!
「ふぉぉーー!」「あっふぉうっ!」「いっっやぁあぁおぅ!」(本当にこんな感じです)
あまりのテンションの高さに取り残された私・・・
息子もダンス教室の雰囲気に馴染めなかったようで
「怖い!」ひたすら「怖い~!」そして「パパ、抱っこ!」
怖がる息子の手を引き、教室隣の控室へ移動。
「怖いよ!」「怖いね!」「抱っこ!」「抱っこだね!」
息子と私は雪山の遭難者のように抱き合い、励ましあいました。
クールに講座に参加する妻。
姿勢。指先。体の使い方。なるほど・・・
妻を見ながら、TVなどによく出ている「武井壮」という人物の言葉を思い出しました。
十種競技を極めるまでに至ったそのアスリートの思考について簡単にまとめるとそれは、
「水をコップで飲むことを失敗する人はいないのだから、まずイメージ通りに体を動かす訓練からはじめる」
「体のひとつひとつをイメージ通りに動かせるようになったら、競技の形にあわせて動かすことに挑戦する」
といった内容でした。
立つ、しゃがむ、足をあげる、まわる。
球技や道具を使う以前の、踊るという「運動」はまさしくひとつひとつの行動の確認でした。
ひとつひとつの行動が丁寧なら、それは綺麗な文字を並べたときのように、
表現したいことを相手にきちんと伝えることができる。
それはもちろん“学び”とも繋がっていて、どんな教科においても単なる演習を重ねるのではなく
「骨格」「基本の形」が何より重要だという共通点を持ち合わせていました。
終盤までダンスの先生は、控室にいる私にも視線を注ぎながら全員を盛り立てました。
「はい、顔つくるー!!」「顔キメテェ~!!」「あっふぉーっ!!」「パパも~顔だけでも参加~!」
顔、重視で。
せめて表情だけでもマイケル・ジャクソンになれるよう控室から顔だけだして、私も真似てみました。
「パパの顔へん~!抱っこ~!」
泣きながらママのもとへと逃げる息子。
きっと傍から見れば険しい表情を浮かべているだけの、おかしな私。
なぜか、うっすら涙のにじんだダンススクールなのでした。